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美しい瀬戸内海の大島にある国立療養所青松園と悲しい『隔離の記憶』

   

6月上旬に瀬戸内海に浮かぶ小さな島・大島を訪れた。

大島青松園
↑青松園から瀬戸内海を眺める。快晴の日、心洗われる風景。

この島にはハンセン病の療養所である国立療養所大島青松園がある。

ハンセン病とは・・・

ハンセン病は、らい菌の皮膚のマクロファージ内寄生および末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症である。
病名は、1873年にらい菌を発見したノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセンに由来する。かつての日本では「らい病」とも呼ばれていたが、それらを差別的に感じる人も多く、歴史的な文脈以外での使用は避けられるのが一般的である。
感染経路はらい菌の経鼻・経気道によるものが主流で、感染力は非常に低い。治療法も確立しており、重篤な後遺症を残すことや自らが感染源になることはないが、適切な治療を受けない・受けられない場合、皮膚に重度の病変が生じることもある。
2007年の統計では、世界におけるハンセン病の新規患者総数は年間約25万人である。一方、近年の日本国内の新規患者数は年間で0〜1人に抑制され、現在では稀な疾病となっている。

(wikipediaより抜粋)

個人で見学したい人は、事前にメールなどで見学希望を出しておきましょう。

官有船まつかぜ
↑官有船まつかぜに乗り、高松港から大島をめざす。

大島青松園に到着
↑大島に到着。この日が快晴ということもあって、とてもおだやかな印象。

盲導鈴
↑島中にあるスピーカー。あとで瀬戸芸スタッフの方から聞いたが、盲導鈴(もうどうれい)といって目の不自由な人のためのもので、大島では道幅にあわせて2種類の音楽を流しているらしい。ハンセン病が進行すると失明する人がいたため。島のどこを歩いても音楽が流れていて、とても不思議な感覚だった。

青松園の納骨堂
↑全国のすべてのハンセン病療養所にはこういった納骨堂がある。
過去に日本政府がとってきた差別的な患者の隔離政策によって、家族と同じ墓に入れなかった人が多くいたことが背景にある。
大島では開園以来、2000名を超える入所者が亡くなり、この場所に葬られている。

風の舞
↑「風の舞」というモニュメント。島の高いところにたてられている。
ハンセン病の本『隔離の記憶』にはこう書かれていた。
「大島ではかつて納骨堂に入りきらない残骨が古井戸などに捨てられていた。野ざらしなので、雨がひどい時は山肌から出てくることもあった。見るに見かねた島の人や職員、ボランティアの人たちの手によって、円錐形の石積みのモニュメント『風の舞』が建てられた。『せめて魂は風に乗って、自由になってください』と祈りをこめた。残骨はその風の舞に収められたという。」(p.267)

アウシュヴィッツの収容所に行ったときも思ったけど、過去の歴史を知らなければ、一見ただの美しいのどかな場所、で終わりそうな場所だった。
同じことを繰り返さないためにはその事実を多くの人が忘れないことだってアウシュヴィッツの収容者が言ってた。

その通りだと思う。

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大島に来て、いかに自分がハンセン病について無知なのかを思い知り、帰ってきてから『隔離の記憶』という本を読んでみた。
病気に対しての無理解から、患者は過去にさまざまな差別を受けてきたことが書かれていた。
治療薬が1943年頃からできていたにもかかわらず、日本では隔離政策を1996年まで続けてきたこと。
患者は断種、堕胎をしなければいけなかったこと。
患者の家族までもがコミュニティから差別されたこと。
療養所に入所するときに家族を思い、自分の名前を変える人が多くいたこと。
それから非常に長い期間、本名を名乗ることがはばかられた人が少なからずいたこと。
療養所とは名ばかりで、人手が足りない場所では患者が働かされていたこと。
ハンセン病元患者が1998年に国家賠償請求訴訟を起こし、2001年に勝訴したこと。

本の中では、さまざまな地域の患者のライフストーリーが描かれている。
中でもひときわ印象に残ったのが、「てっちゃん」の話。
病気の後遺症で目、鼻、手の指をなくした男性、桜井哲夫さんの話。
普通なら病気を恨むところだが、彼は違った。
後遺症の残る外見を気にすることなく、積極的に外に出かけていった。

晩年、彼に人生どうだったかを質問したところ、「恵まれていた、こんなにいろんな人に会っていろんな場所に行った人いないでしょう?」と答えたという。

なんて心の強い人なんだろう、と思った。
普通なら自殺を考えただろう境遇にありながら、それを恵まれていたと言えるまでになるのに一体どれだけ時間がかかったんだろう。

そんな心の強い彼が亡くなり、追悼ミサが開かれたとき、全国から交流のあった120人が集まったらしく、彼がどれだけ慕われていたかがわかる。
人生、もはや見た目とか関係なく、過去にどんなことがあっても、考え方次第でどうにでもなるということ体現した人だった。

読んだすべての人が最後には励まされる本。


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