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『ポル・ポト〈革命〉史』を読んでさらに謎が深まった件

   

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一昨年、カンボジアのキリング・フィールドとジェノサイドミュージアムを訪問。
1970年代に内戦を経験したカンボジアでは、カンボジア人が自国民を大量に殺してる。
キリングフィールド慰霊塔
↑プノンペンのキリング・フィールドの慰霊塔。塔の中には無数の頭蓋骨が。

内戦時の地雷がいまだに埋まっている地域があり、内戦後も地雷で手足を失った人たちが続出。
革命なんて誰も得しないようなことを、なんでこの国はしたのか不思議だった。

というわけで、『ポル・ポト〈革命〉史』という本を読んでみた。
200ページ以上で字も小さいので、忙しい皆さんにかわって私がざっくり要約。

■いくつかの事実
・ポル・ポト政権の幹部はフランス留学生組が多く、教員だった者も多かった。
・内戦が激化するとカンボジア人100万人が難民となり、ベトナムとタイ両国境に殺到。
・当時の人口800万人のうち、推定150万人がクメール・ルージュによって虐殺された。
・ポル・ポトが政権をとったのが1975年。そこから40年たった今も、謎に包まれた部分が多い。理由は、内戦後のカンボジア国内の混乱と関係諸国の思惑からなかなか国際裁判が開かれず、その間に関係者が亡くなってしまったため。
・1998年、ポル・ポト死去。死因は心臓発作。

S21
↑S21(トゥールスレン刑務所)跡地はジェノサイドミュージアムとなり、拷問道具などが多数一般公開されている。

■クメール・ルージュの奇行
・都市住民を全員農村に強制的に移動させ、農業に従事させた。
・階級制度の導入。都市住民だった人は最下層の「新人民」、解放勢力地域の農民だった人は最上層の「基幹人民」(その中でも上から順に「完全な人民」「準完全人民」「預けられた人民」の階級が存在)と呼ばれた。
・仏教僧侶も例外なく、農業に従事させた。
・教育の否定。全教員が処刑の対象となった。
・旧体制、旧文化の否定。それらを彷彿とさせる言動(外国語を話す、伝統的な祭り、歌など)はすべて処刑の対象となった。
・国際援助の拒否。
・通貨と市場の廃止。通貨があるから欲が出るという発想から。
・家族ごとの食事を許さず、集団食事制を導入し、家族の絆をたちきる。
・農業のなかでも特にコメの生産を重視したが、素人集団で生産性があがるはずがなく、目標値に満たないので配給分を出荷分にまわしていた。そのため、餓死者が続出。
・大人よりも、何も知らない子供の方が尊い。そのため、字も読めない子供が兵士となり、兵器の訓練を受けたが訓練中の事故が相次いだ。
・旧文化である西洋医学を否定し、何世紀も前の伝統医療の採用。大人は信用できないので、子供が医者となり、救えたはずの患者が大量に死んだ。

 

知識のある人をねこそぎ虐殺したので、国の再建に大きな課題を残したクメール・ルージュ。
一昨年行ったときは、首都プノンペンでも20分ほど行くと道は未舗装で土ホコリがすごかった。
移動手段はトゥクトゥクで、当然タクシーはない。
翌年イオンモールが初出店するといって、町はにぎわっていた。
クメール・ルージュ支配の終焉から30年以上かかって、このレベル。
別に隣国タイのバンコクのようになれと言いたいわけじゃないけど。
教育の否定は国の未来30年を台無しにする。

 

結局、クメール・ルージュがなんでこんな行動をとったのか、本を読んでも理解できなかった。
裁判がろくに開かれなかったので、誰も真相はわからないんだろう。
私からすると理論が完全に破綻してるのに、なんでそんなのについてく人がいたんだろう。
謎すぎる。当時の人に聞いてみたい。
理論は一時の熱狂や感情に負けるのかなー。

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